お医者さんは科学者であってはならない

「お医者さんは科学者であってはならない。」

「お医者さんは科学者である。」と普通は お医者さん当人は疑いもせずに
そう思っているし、世間もそのように思っています。
しかし お医者さんは本当に科学者なのでしょうか。
科学者だとすれば「科学者とはどういうものなのか」をまずお医者さんに
自分で定義してもらいましょう。
医者でもない私が 「科学者とは」と定義し あなたは科学者ではないなどと
お医者さんに向かって言おうものなら 全医師から攻撃を受けてしまいますから
自分で定義してもらい 自分がその定義に合っているかどうかを自分で検証してもら
おうということなのです。
そうして お医者さんが 自分の考え方、やっていることが自分の作った
「科学者の定義」に合致していれば取りあえずは科学者だし もしずれていたなら
「そもそも自分は何なのか」を考える必要が出てきます。

私達は普通の生活をしていますから 「サラリーマンとは?」といったように
自分の職業をいちいち定義づける人はあまりいませんが お医者さんに限らず 
政治家や 公務員や 大企業の社長を含め結構いつも偉そうにしている人達も 
時には自分の職業を自分で定義して 自分のしていることがその定義にあっているか
どうかを再確認したほうが生きていく方向を見失わない為に、必要かもしれません。

で、話を元に戻すと、お医者さんは普通自分のことを科学者だと思っています。
どうしてそんなふうに思っているかと言うと、大学医学部受験の時の受験課目が
他の理科系の課目と同じだったからというのが主たる理由だったのではないかと
思うのです。(笑)
文系の受験課目に比べると 数学と理科の比重が高いのです。

最近までの医学部へ入学するための偏差値は理科系のなかでも圧倒的に高いので
医学部の学生は入試の成績を基準にして、もしも、自分が理科学系の専門課程に
進んだとしても ちゃんとやっていけるという自信がありますから 自分と同じ
受験課目で入学した自分よりやや偏差値の低い理科系の学生が科学者に
なれるのであれば医学部学生の自分も科学者の一人として登録されても
おかしくないと思っているのでしょう。

しかしながら 医学部学生は入学6年後に医師国家試験が待ち構えているのですから
激しい大学入学試験を突破した後直ぐに、医師国家試験突破のために準備に
入ります。
医大の教育カリキュラムがどうなっているのかはよく知りませんが 少なくとも
医師国家試験を通って医師になるためには 間違いなく膨大な量の医学知識を
暗記しなければならないでしょう。
そういうカリキュラムの中で 科学者になるための教育が一方でなされるわけが
ありません。
間違っていたら「ごめんなさい」なのですが、私はそんな風に思っています。
医師になるということは一方で科学者になることをあきらめるということ
になります。

勿論 医師国家試験を無事に通ってめでたく医師になった後 進路を変えて
生化学等の科学系研究室に入って 科学者になり立派な業績をあげておられる医師が
何人もおられます。
しかしそういう科学者は 元医師であって 現役の医師であってはこまります。
勿論医師資格を持っていますが 科学者と医師とが一人の中で両立するとは考えられません。
科学者になったら ヒトを救うという欲望を封印してもらわないと 危なくて
しょうがないと思うのです。
科学者はヒトの持っている事実を知ればそれで十分な筈です。

科学者が扱う生物学における「人」を私はヒトと表記します。
医者が扱う「人」は患者です。
科学者が事実を解明し 更に手柄を求めてヒトを救おうとしても科学者としての
本能はどうしてもヒトとモルモットを区別できなくなりますから とても危険です。
ですから 人を救うのは医者でなくてはならないと思うのです。 

今日 新聞報道によれば 肺がん治療薬「イレッサ」の副作用をめぐる訴訟で
国とともに 被告になっているアストラゼネカ社は 大阪・東京両地栽の和解勧告を
受け入れないと両地栽に回答したそうです。
製薬会社が 新薬を開発し発売の認可を取るためには 国の承認を取らなければ
なりません。
国の承認を取るには何段階もの関門がありそれを一つずつクリアしていき
最終段階の臨床試験でいい結果がでれば 認可がとれます。

イレッサは分子標的薬と呼ばれる新タイプの薬です。
新しい薬の開発は100%、科学者によって進められます。
薬の開発が終了して認可を取るための申請の段階で初めて医者が関与します。
薬の認可をとりたいのは 開発を主導した科学者であり 製薬会社です。
この人たちに巻き込まれる形でお医者さんは治験に協力しています。

お医者さんは患者を救うのが仕事だと理解なさっていると信じてはいますが
お医者さんが治験を請け負うと お医者さんの気分は科学者になってしまい、
患者を診るというより ヒトを観察するようになってしまうのではないかと
私は疑っています。

今回、イレッサの副作用をめぐる訴訟で 東京・大阪両地裁が出した和解勧告に
医療現場が反発し、国立がん研究センターの嘉山孝正理事長が記者会見をした
記事内容を読んでみると 科学者と医者の区別があいまいですし ヒトと患者の
区別もあいまいです。
医師側は 800人を超える被害者を出してしまった治験体制を検証し
再発防止を考えるべきでしょう。
しかし新聞報道によれば嘉山孝正理事長は「副作用発症の予見はきわめて困難だった。」
と主張しています。
私は科学者が ヒト800人の副作用死が出たことにそれほどショックを受けていないことは有りうるな、と思っています。
しかし お医者さんが800人超の患者の死者を出したことにショックを受けずに「予見は極めて困難だった。」と言い切ることには驚きを隠せません。
悪気はないのでしょうが あきらかにお医者さんが医療の進歩・発展・向上を目指す
科学者モードになってしまっているからだと思うのです。

普通のがん患者は 自分の主治医は自分のがんの治療を最優先に考えてくれている
医師だとおもっています。
ところが主治医は医学の進歩のために データを取るための対象としてのヒトを
モルモットをみるように観察しているのだとすると 患者があまりに可哀そうです。
患者がお医者さんに期待することは 自分の現在の状況を少しでも改善してくれる
医療を施してくれることです。
患者は将来の医学発展のために働くお医者さんを求めているわけではありません。
* 
お医者さんは科学者であってはならないと思います。