菅直人さんの 民主・臨時党大会演説

菅直人さんの 民主・臨時党大会演説

14日の民主党臨時党大会で、国会議員の投票前に 菅直人首相が
出席している国会議員に訴えた最期の演説の要旨が朝日新聞
掲載されていていました。

菅直人首相は、「特殊法人特別会計を徹底調査してその闇と闘い、
道半ばで暴漢に襲われ、命を落とした(故人で当時衆議院議員の)
石井紘基さん。自らがんと闘い、がん対策基本法自殺対策基本法
制定に尽くされた(故人で当時参議院議員の)山本孝史さん。
このお二人の名前を挙げ、世の中の不条理と闘い続けたこのお二人こそが
民主党の原点だ、と語り
自分(菅直人)も新人議員時代に丸山ワクチン問題や土地問題や
薬害エイズ問題に取り組んだのも、一部のために多くの人が
不利益を受けることは許されないという強い思いが原動力だった。」
と演説しました。

ここにあげられた諸問題は 菅直人さんをはじめとする民主党
議員の皆さんの努力によって それなりに成果は上がっていると思いますが
唯一 丸山ワクチン問題は 問題発生から30年経った今日いまだに
なんら解決の目途すらたっていません。
もしも菅直人首相が問題解決済みと勘違いなさっているのなら
ぜひ 認識を改めて頂いて 丸山ワクチン問題を再調査していただきたい
と思います。

集中力と持続力

集中力と持続力

私が末期の食道がんになりながら 健康を回復できたのは丸山ワクチン
何らかの貢献をしているということが知られるようになって、がん患者ご本人や
がん患者を持つご家族から丸山ワクチンに関するお問い合わせを沢山頂くので、
このブログを書くようになりました。

いろいろな過程を経て丸山ワクチンの注射をすることがやっと
出来るようになったがん患者の方が、1年近く注射をやっているうちに
次第に面倒になり、さぼりはじめ、最終的に止めてしまう方が 
最近 ぼつぼつ出始めています。
まあ、現状、そこそこ問題なく生活出来ていれば 一日おきに注射をするのが
面倒になってしまうのでしょうが がんはそれほど甘いもんじゃありません。
どこかで再び顔をだしますから 本当は警戒をし続けなければならないのです。

人間は 勉強でも 仕事でも 恋愛でも完成させなければならないとなったら
短期間に何とかしてしまうという集中力は誰にもあります。
キャンペーンのように 「何何まであと何日」といった標語ができて
それに合わせて辻褄を合せるのを 私達はみんな得意としています。
そして目標を達成すれば 華々しい成果として讃えられます。

一方で持続力というのは 誰もが持ち合わせているわけではないようです。
現代社会というのは 目標設定が大好きで達成率とか達成度といった数値を
振り回し、成果があがった、とか あがっていないとか言っていますが
そんなもんは 過去に一度経験したことをもう一度繰り返すときにしか
役に立ちません。

新しいことをやり始める時 そのことを心からやりたいと思う同僚や部下
がいることは まず無くて たいていは口には出さなくても 
そのプロジェクトの成功を信じていない連中の集まりですから
結果を早く出すことを リーダーは要求されます。
そんなことは 実際は不可能ですから 新しいことをやろうとするには
一人で始めるか ごく少人数で始めるのが正しいのです。

一人で始めるか 少人数で始めるということは 当然進行は遅くなりますから
時間はかかるわけです。
しかし その進行の遅さを理由にクレームを受けることは 普通ありません。
結果が直ぐには出ないことを当事者が納得していればいいのです。
結果が直ぐにでないことをやり続けるということの困難は想像を絶しています。
やり続ける力を持続力といいます。持続とは 孤独の別名かもしれません。

丸山ワクチンを一日置きに注射し続けるということに意味があるのだろうか、
という疑問がわいてきたら 「自分は孤独に耐えられないのだ。」あるいは
「持続力がないのだ。」ということを自認なさるのがいいのだと思います。

物理学者の研究方法

物理学者の研究方法

戸塚洋二先生の「がんと闘った科学者の記録」からの引用を続けます。

「私(戸塚洋二)の様な物理学者が研究を行うとき、研究上の現象が
理論的に解明できていないときは、まず現象の詳しいデータをあつめ、
その解析により、現象の全体像およびヴァリエーションを捉えていきます。
以上から現象の背後にある本質を抽出していくわけです。
このような作業のため、データベースの構築は真っ先に行うべき
大切な作業です。
物理学者が取る研究手法はお医者さんの手法とはまったく異なっている
ようです。
お医者さんはデータベースというと数十以下の症例を集めて
満足しているようです。
テラバイトクラスのデータをデータベースにせよとはいいませんが、
検索の終端で少なくとも100例くらいのデータは欲しいような気がします。
友人のがん対策の大御所にお話ししたことがあります。
高名な医学者でもあるので、私の考えを十分理解していただけたと思います。
しかし、多くのデータを集めるには、ある規模の病院間のネットワークを
構築して、それを通して患者さんにご協力をお願いする必要があるとおもいます。
村社会的な病院社会でこのような事業を展開することは、
現状ではほとんど不可能なようです。」

「物理学者は、何かわからない現象があると、同じ現象が世の中に
あるかどうかを網羅的に調べて、その中に規則性があるかどうかの
検討をまず行います。」

戸塚洋二先生は繰り返し、繰り返し、科学者の研究方法の一つを
明らかにし、それを実施することを提案なさっていますが、
「村社会的な病院社会でこのような事業を展開することは
現状ではほとんど不可能なようです。」とご自分で答えを出して
います。

偶然の発見が医学を革新した

偶然の発見が医学を革新した

医学研究というと、たとえば有名なものとして、フレミング(1881
―1955)のペニシリンの発見がある。
この発見により、細菌の感染症の対策に革命的ともいえる変化が
もたらされた。
その功績により、1945年にはノーベル医学生理学賞を受賞している。
レミングは細菌感染の治療薬を発明するために、さまざまな物質の効果
を試した結果、大発見をしたのではない。
窓から風が吹き込み、培養皿の上にかびが落ちて、細菌の繁殖を抑えたのを
発見したのだ。
その発見はまったく偶然の産物である。
カビには数千の種類があり、細菌にも数千の種類があって、そのなかで
偶然に細菌の発生を抑えたのは、宝くじに当たったようなものだと
レミング自身が述べている。
他にもノーベル賞を受賞するような画期的な医学的発見の多くが、
偶然の上に成り立っている。
レントゲンのX線の発見、マクリーンによる抗凝固薬のヘパリンの発見、
エーテル麻酔の発見、ワクスマンの放線菌が結核に効くという発見も
大きな偶然が影響している。

多くの科学者は科学論文を書くことで、自分の研究成果を世の中に発表
していく。
そのために、論文というものはある目的を持って研究をしたように
思われるが、実際には、それは研究の途中で発見された事実を
論理的に組み上げたものである。
それが一般に誤解を受けることになる。
研究者は常にある目的を持って研究をし続け、成果を上げるものと
思われているようだが実情はことなる。
医学研究は、目標を掲げて推進していくようなケースはきわめて稀で、
多くは迷路の中で大きな発見が起きることによって、進められてきたのだ。

日本の医学博士論文のような、大きな発見や医学の進歩につながることの
少ない論文は、合目的な書き方をする。
実際には、結果がわっかっていながら研究をして、従来言われているような
結論にたどり着いたとしても、研究論文としての体裁が整っていれば、
医学博士論文となっている。
それが実態であろう。
つまり、非常にレベルの低い論文や影響力のない論文ほど、いかにも
「物事を深く推敲して得た研究結果」のように書かれてしまう。
しかし、非常に画期的でオリジナリティーの高い論文ほど、偶然のなかの
発見が多いはずである。
それは医学史からも推測できる。
セレンディピティserendipity)という言葉がある。
偶然と洞察力によって本来求められていなかった発見をする能力と
定義されている。
優れた研究者は、目の前に起きた従来の考えでは理解できないことに
注目し、そのなかに新しい発見を見出している。
医学は、そういった試行錯誤と偶然とするどい研究者の洞察力の上で
大きく進歩してきた。
しかし、新しい発見は、周囲の研究者から認められることが難しいことが多い。
さらにそういった研究を進めることのできる自由な環境ができていなければ、
従来にない発見を、新しい真実と認めることができない。
残念なことに日本の医学界は、米国などより、いまだに教授主導型の
研究になっていて、大発見のチャンスを自ら摘んでいる。
そこに日本の医学研究の大きな問題が潜んでいるのだ。
(中略)
医学研究は、測定方法や検査方法が進歩しなければもちろん大きな
発見もない。
しかし、妨げになっている大きな要素は、その道の権威者たちであることは
事実である。
科学はもっと客観的かつ冷静な視点で評価されるべき学問であろうが、
そこには妙な人間臭さが存在し、多くの大発見は権威者の研究自体の
否定にもなりかねないので、素直に受け入れることができないのであろう。
医学の進歩の底流に脈々と流れるのは、科学的で冷静な判断ではなく、
非常に人間的ともいえるものである。
だからこそ医学が素直に科学であるとはとても言えないのだ。
(後略)

米山公啓著 「医学は科学ではない」 ちくま新書  P89−94
から引用させていただきました。
米山公啓先生は 98年に聖マリアンナ医科大学第二内科助教授を辞し
診療をする傍ら 著作活動をされています。

米山公啓先生は 今の日本の医学の現状と医学の本来的な問題点を
素直におかきになっています。
一方、戸塚洋二先生と 立花隆さんは 米山先生がお書きになっている
問題点を判ったうえで、
「それでも医学が科学でありあり続けようとするなら、こうしたらいかがですか」
と、提言なさっています。
最大の問題点は 現在の日本の医学会において権威とされている先生方が 
科学を名乗るには「これこれの条件」が必須であるという条件を
自覚、 実践なさらずに 医学は科学であると無邪気に
思いこんでいることにあるような気がします。

業界事情があるとは思いますが。

業界事情があるとは思いますが、

二回ほど続けて、素粒子ニュートリノに質量があること発見した科学者
戸塚洋二さんがお書きになって 立花隆さんが編集されて出版された
「がんと闘った科学者の記録」をご紹介しています。
戸塚洋二さんと立花隆さんのお二人ともがん患者でこの本の基になる
原稿を書いているときは、お医者さんの世話になっている最中ですから、
お医者さんに対して言いたいことを随分押さえて発言なさっています。
それで お二人に代わって私がこの本を是非お医者さんに読んで頂きたいと
前回お願いしたのです。

私達は大人になると社会に出て稼ぐようになります。
社会人になるということは何かの業界に入ってそこの業界人になる
ということでもあります。
それぞれの業界にはそれぞれの業界特有の慣習、しきたりがあって
それを素早くマスターすることが その業界で成功する必須の条件である
と信じられていますから、新規参入者はそれを必死に勉強します。
それぞれの業界特有の慣習、しきたりは業界外の人から見ると普通は
不合理なものが多いいのです。
新規参入者は不合理だということを自覚しながら勉強します。
その結果、無事に業界に入ることが出来ると、不思議なことに不合理を
是正するというよりももっと不合理を進化?させる方向に努力のパワーを傾注し
業界内での自己の評価を高めたいと願うようになります。
この構造が 新規参入障壁をますます高くし、その業界の安泰が続くことに
なります。

このもっとも典型的な例は最近の相撲業界(相撲協会)でしょう。
外にいる私達から見ると相撲業界のやっていることはなんとも無茶苦茶に
見えますが 相撲業界の中にいる人からすれば長い歴史と慣習に
したがってやっているので 今、急に全てを改めろと言われると
相撲業界の土台が壊れてしまうから 「そんなことはできっこないよ。」
と 思っているはずです。

相撲業界を叩いているマスコミも同じようなものです。
記者クラブ制度を廃止しろという世論がありますが 新聞業界の
利益を優先してそんな世論のことなど歯牙にもかけていません。

政冶業界も役所業界も皆同じで、どの業界も基本的には
業界事情がなによりも優先されています。
業界事情というのは 実際には何なのかといえば 業界の既得権益とか
その業界幹部の持っている特権などをさします。
業界事情はその業界に身を置いていないとわかりません。

医学業界にも独得の業界事情があるのでしょう。
ですから 医学業界事情を優先させることを理解はします。
しかし医学はまがりなりにも科学を標榜しているのですから 医学者は
科学者としての行動をとらなければならない筈です。
科学者らしからぬ行動をとっても医学業界から相手にされなくなるという
心配がなさそうだというのであれば 医学が科学であると称することは、
いかがなものかと思わざるをえません。
戸塚洋二さんと立花隆さんのお二人とも医学者は科学者であってほしいと
強くのぞまれています。
それがこの本に強く出ていると 私が感じたので解説させていただきました。

私の解説がまったくの間違いであるかもしれません。
ぜひ皆さんがお読みになってご判断いただきたいとおもいます。

がん医学研究はもっと数値化してほしい

がん医学研究はもっと数値化してほしい

前回のブログでは 戸塚洋二さんと立花隆さんのお二人が
「がん医学研究あるいはがん治療に、もっと数値とデータを細かく出して
分析をすべきだ」と意見を出されています。
この文章の引用は「文芸春秋8月号」からのものですが
これ以降の引用は 昨年5月に刊行された「がんと闘った科学者の記録」
から引用させていただきます。

この「文芸春秋8月号」の対談をやるきっかけになったのは 旧知の
間柄だった戸塚洋二さんがまず最初に「文芸春秋」にのった立花隆さんの
「ぼくはがんを手術した」という手記を読んで立花隆さんにメールを
送ったところから 始まりました。
立花隆さんはメールを読んで、戸塚洋二さんがブログを書いていることを知り、
それを読んで戸塚洋二さんの状態が容易でないことをしりました。

立花隆さんは戸塚洋二さんにメールを送っています。

「医者とのコミュニケーションがいまひとつのご様子心配しています。
ただ実際問題として、がんはまだ分からないことが多すぎて、
医者としても質問に答えたくても答えようがないというのが
おそらく実情だとおもいます。

立花隆さんは 戸塚洋二さんがお医者さんの対応にストレスを感じていることを
理解しつつも、まずはお医者さんの立場を説明しています。
しかし 直ぐそのあとで戸塚洋二さんよりももっと過激に
医学界批判を爆発させています。

「そういう意味からも、患者のブログを沢山集めてデータベース化するという
アイディア、大賛成です。
わからないものにぶつかったときは、まずは大量のファクトの集積から
はじめるべきで、それも無機的な統計データ的ファクトの集積ではなく、
人間という最高の知的センサーの集合体を最大限に利用したファクトの
膨大な集積をはかるべきです。
そうでないと個々の医師が持つ貧しい体験知の集積をもってよしとする
(そういう貧しい体験知しか持たない医師が権威とされ、そういう
貧しい権威の集まりがガン対策の戦略を決めるのが正しいとされる)
袋小路的状況から抜けられないと思います。」

この「がんと闘った科学者の記録」は全編「真の科学者」が 現在の
がん治療現場の 不合理 非合理をどのように改善したらいいのかの
提言集でもありますから がん治療の現場のお医者さんだけでなく
がん学会、がん対策を司る政策当局の方々お読みいただきたいと思います。

私が「真の科学者」と ことさらに「科学者」に「真」を付けたのは
この本を読んでいると 立花隆さんと戸塚洋二さんのお二人ともに
お医者さんが 科学者であるということに「?」マークを付けている
ことがわかるからです。
多分、戸塚洋二さんは 科学者としてごくあたり前に、自分のがんに
ついて お医者さんにどんどん色々な質問をなさったのでしょう。
そしてうるさがられたのだとおもいます。
「長年お世話になっている先生方とのお付き合いで得た感想は、先生方には
違うといわれるかもしれませんが、プロとして患者の素人意見は取り上げない、
というプライドを先生方はお持ちのようです。」
と戸塚洋二さんは書いています。

がんと闘った科学者の記録

がんと闘った科学者の記録

がんと闘った科学者の記録

私がブログを再開した直後の2010年6月30日に「日本のがん治療を
本で学ぶ」というタイトルの文を書きました。
そこで何冊もの本をご紹介したのですが 「がんと闘った科学者の記録」は
そのうちの一冊です。この本のカバーによれば 著者の戸塚洋二さんは
1942年生まれ。
65年 東大物理学科卒業。
72年 東大大学院理学系研究科博士課程修了。
88年 東大宇宙線研究所教授。
98年 世界で初めて素粒子ニュートリノに質量があることを発見した。
そして 2008年7月10日に逝去されました。

この私のブログをお読みになっている方の中で 戸塚洋二さんの名を
知っている方はほとんどいらっしゃらないだろうと思います。
勿論私も初めて見る名前でしたが 一昨年(8年)の7月10日に
戸塚さんの名を知りました。
ちょうどその日は 私が病院に定期検査の結果を聞きに行く日で
新幹線に乗る前に東京駅のホームのキオスクで「文芸春秋8月号」
を購入しました。
そのころというか 今もそうなのですが「がん」「癌」という活字
にすぐに反応してしまいます。
文芸春秋」はその年の4月号から 立花隆さんがご自分の膀胱がん
手術の体験記を掲載していたので 毎月読んでいました。
7月10日は「文芸春秋」の発売日だったので 車中で読むのには
ちょうど良いと思って購入したことを覚えています。
そこに 戸塚洋二さんと立花隆さんの対談が掲載されていました。
戸塚洋二さんと 立花隆さんは勿論旧知の仲ですから 立花隆さんが
手際良く戸塚洋二さんの業績を紹介なさっているので 戸塚洋二さんが
「真の科学者」であることがはっきりわかります。

この対談で 戸塚洋二さんは次のように語っています。

戸塚 「私のがんは残念ながら立花さんとちがって全身に転移して、もう
最終段階に来ています。でも研究者という職業柄、自分の病状を
観察せずにはいられない。今日は私の体験をもとにがん患者の方々に
少しでもアドバイスになるお話ができたらと思います。」
という前振りがあって、

戸塚 「2000年10月にがんが発見され(大腸がん・ステージ3a)
直後に 近傍のリンパ節への転移もみつかって、11月に手術。
2004年 左肺に転移が2ヵ所見つかり、手術し 手術後
半年だけ抗がん剤治療をする。
2005年 右肺に再再発する。こんどは多発性の転移で手術は不可能で、
化学療法しか治療手段がない状態になっている。」

戸塚 「私はなんとか若手ががんばって推進している大強度陽子加速器施設
(J-PARC)の立ち上げを見届け、東海村のJ-PARCで発生させた
ニュートリノを295キロ離れたスーパーカミオカンデに打ち込んで
ニュートリノ振動現象を観測するという実験を見届けたいと願って
いました。」

戸塚 「主治医に聞いてみると、“化学治療を行わなければ1年程度の余命で、
行えばもっと延ばせる“、という説明でした。私の友人にがん研究の
大御所がいたので、CT写真を見てもらったところ、“もう仕事はあきらめろ”
と忠告された。“なんとか2009年まで生きたい”と言ったら、
“それはないよ”って言われたんです。これにはさすがに愕然としました。

戸塚 「当時、新薬としてオキサリプラチンという抗がん剤が話題になっていて、
副作用も少ないようなので、私もこの薬を使うのを希望したのです。
この薬による治療だと、平均余命は約19ヵ月とありました。」

戸塚 「仕事をやりながら本格的な抗がん剤治療をすることはできないので、
仕事をやめるか、治療を延ばすか、選択はどちらかしかなかった。
結局、仕事に区切りがつくまで半年間延ばして、2006年4月まで
抗がん剤治療の開始を遅らせました。」

立花 「戸塚さんからいただいたお見舞いのメールに(立花隆さんが
文芸春秋にかいた膀胱がん手術の体験記を読んだ戸塚さんが出した
メールのことを指す。)ご自分のがんの記録がずっと書かれてあり、
それを読ませていただいて、いや、驚きましたよ。とてつもなく詳細に、
そして冷静にご自分の病状を観察していらっしゃる。
とくに驚いたのが、医者からもらったCT画像の写真をデジタル化して、
腫瘍サイズの時間的な変化を見たり、抗がん剤の投与回数と腫瘍マーカー
の関係をグラフ化したり、あそこまで自分で分析する人はなかなか
いないでしょう。病気というのは、ある意味で、データの世界ですが、
データにぶつかるとどうしても科学者の本能が働いて分析してしまうもの
なんですかね。」

戸塚 「そこは長年、研究者生活をしてきたんで、その延長線上で
どうしても測定しちゃうんですよね。がんになってわかったことですが、
医師というのは意外なことに、数値を使わない。CTの写真も
“これとこれは同じぐらいですね”で終わり。

立花 「目で見た感じや勘に頼って数値化しないんですね。」

戸塚 「ええ。CT写真を検討するのも大体数分程度。私達からすると、
大雑把。我々の様な実験物理学者だったら、CT写真だけで1週間は
楽しめるのに。」

立花 「相手が生き物だと、個体差が大きすぎて数値化して分析しても、
あまり意味がない、というのが医学の考え方でしょう。Aの患者に通じる話が
Bの患者には全く通じないということがよくある。」

戸塚 「でもね、私は違う意見なんです。個体差があり過ぎるから、
各個体に対してデータや数値を細かく出して分析すべきなんですよ。
そうすれば個体ごとの違いが見えるはずなのに、それをやらない。
本当は理数系の人間と医療系の人間が一緒に仕事をしたらいいと
思うんです。数値化を理数系がやって、医者が最終的判断を下す。
そういう機構なり 会社なりを作ったっていい。
やはり個体差を見るためには数値化から始めなければなりません。
でないと「個体差がある」で片付けられて、議論が終わりに
なっちゃいますから。」

戸塚洋二さんと立花隆さんの対談の核心はこの「個体差を見るために
各個体に対して データや数値を細かく出して分析すべき。」というところに
あります。
がん患者が医師に不信と不満を抱くのはまさにこの点であって 
この医師の言っていることは このがん患者の状況を十分に勘案してのことなのか、
マニュアルに書いてあることを ただ言っているだけなのかがわからないからです。

戸塚洋二さんはこの後に 「標準治療は標準治療として大切です。どんな
お医者さんにもしっかりした治療をやってもらうためには、標準治療という
きちんとしたマニュアルが必要だ、そうでなくては、患者のほうが
たまらんわけですから。しかし、医学はもう少し個体差を研究して、
標準治療を少しずつでもいいから良い方向に進めてほしいとおもいます。」
と語っています。

2008年7月10日に、この対談を新幹線で読みその論旨に深く共感して
病院に向かい 勢い余って、文芸春秋8月号を私の担当医にプレゼントして
しまいました。(笑)
夕方再び新幹線に乗って帰宅してテレビのニュースをみて愕然としました。
戸塚洋二さんの逝去の報が流れたのです。